昭和18年の新聞の紙面の様子を紹介します。令和から見た昭和の「違和感」をお楽しみください。

昭和18年の時代背景とは
昭和18年7月6日の朝日新聞夕刊が手元にあります。状態から見るとおそらく、畳か箪笥の下に敷かれていたものだと思われます。

昭和18年(1943年)は、第二次世界大戦の真っ只中であり、日本は戦局が厳しくなる中で総力戦体制を強化していました。
- 戦争の激化:太平洋戦争が続き、日本はアメリカや連合国との戦闘を繰り広げていました。特に、ソロモン諸島やニューギニア戦線での戦いが激しくなりました。
- 国内の統制強化:戦時体制のもとで、国民生活は厳しく統制され、物資の不足が深刻化しました。食料や衣料品の配給制が強化され、贅沢品の使用が制限されました。
- 学徒動員:戦局の悪化に伴い、学生の徴兵が進み、多くの若者が戦場へ送られました。
- プロパガンダの強化:新聞やラジオを通じて戦意高揚のための宣伝が行われ、国民に戦争への協力が求められました。
この時代は、日本の歴史の中でも特に厳しい時期の一つと言えるかもしれません。
当時の新聞に見る国語の表記の違いとは

当時の新聞を見て直ちに気づくことは、横書きが右から左に書かれていることです。上は広告欄を引用しています。
次に気づくのは、旧仮名遣いであること、使用されている漢字が当用漢字以前のものであることです。
ちなみに旧仮名遣い(歴史的仮名遣い)は、1946年(昭和21年)に「現代かなづかい」として改定されました。これは、従来の表記が発音と一致しない部分が多かったため、より発音に近い形に整理する目的で導入されました。その後、1986年(昭和61年)に「現代仮名遣い」として再び改定され、現在の形になりました。
一方で戦時中の漢字使用は複雑でしたが、上と同年の1946年(昭和21年)に「当用漢字表」が制定され、公式に漢字の使用範囲が整理されました。これは、戦前の旧字体や難解な漢字を簡略化し、日常生活や公文書での使用を統一する目的がありました。
この当用漢字表は、1948年に「当用漢字字体表」としてさらに整理され、簡易字体が正式に採用されました。その後、1981年に「常用漢字表」が制定され、当用漢字は廃止されました。
昭和18年の戦況と報道のトーン

夕刊のトップ記事は戦果です。記事を再掲します。きわめて日本にとって良い結果が報じられています。
ここで、「陸海鷲、レンドバ強襲」に注目します。
レンドバ島(Rendova Island)は、南太平洋のソロモン諸島に属する島で、ニュージョージア諸島の南西部に位置しています。北東にはニュージョージア島があり、南西側はソロモン海に面しています。
史実を確認すると、この島は太平洋戦争中の1943年6月30日までにアメリカ軍が上陸し、戦略的な拠点となりました(注1)。日本軍は陸軍歩兵第229連隊や海軍部隊を配置し、抵抗しましたが、圧倒的な連合軍の兵力により短時間で制圧されているようです(注2)。
記事の大本営発表では1943年7月2日の戦果として「敵を撃破し、わが方損害なし」とありますが、疑わしいと言わざるを得ません。
見出しにある「陸海鷲」という表現は、戦時中の新聞や報道で使われた言葉で、陸軍の航空部隊(陸鷲)と海軍の航空部隊(海鷲)を指すものです。これは、戦意高揚のために勇壮なイメージを持たせる目的で使用されました。
特に、戦時中のニュース映画「日本ニュース」では、「陸鷲」「海鷲」を多用していたようで、戦闘シーンには勇壮な音楽がつけられ、砲弾の炸裂音などが加えられていました。このような表現は、戦争遂行のプロパガンダの一環として広く使われていたようです。

「征(行)こう、体当たりだ」という表現と航空部員であることから、「特攻」を思わせます。
戦時中に貯金・保険・債権が推奨された理由とは

上の記事は女性のための投書欄です。非常に厳しい生活の中で内職が励行されていたようです。また、貯金・保険・債権といったキーワードが多く出てきます。内職や貯蓄で生み出されたお金が戦費に費やされていたことがうかがい知ることができます。
戦時中、日本政府は貯金・保険・債券の奨励を積極的に行いました。その理由は以下の通りです。
- 戦費調達:戦争には莫大な資金が必要であり、政府は国民の貯蓄を戦費の一部として活用しました。特に、国民貯蓄運動が展開され、貯金が奨励されました。
- インフレ抑制:戦時中は物資不足によるインフレが懸念されていたため、国民の消費を抑え、貯蓄を促すことで経済の安定を図りました。
- 国民の戦争協力:貯蓄や債券購入を「報国(国への貢献)」と位置づけ、国民に戦争への協力を求めました。例えば、「貯蓄報国」というスローガンが広まりました。
- 戦時債券の発行:政府は「戦時貯蓄債券」や「報国債券」を発行し、国民に購入を促しました。これにより、戦費の調達を補いました。
このように、戦時中の貯蓄奨励は単なる経済政策ではなく、戦争遂行のための重要な施策でした。